2018年雲南省調査旅行報告

 

吉田外司夫 

 

 今年の雲南調査旅行は筆者が二人の協力者(アシスタントと4WD車ドライバー)とともに単独で行ったもので、719日から30日までの12日間かけて、雲南省北西部の鶴慶県や香格里拉(シャングリラ)県、徳欽県の山々で実態がいまだにはっきりしない青いケシ(メコノプシス属植物)を調査した。 

 今回の調査旅行の主要な目的は、フランス人宣教師のジャン・マリー・ドラヴェー(Jean Marie Delavay)1886年から89年にかけて採集したメコノプシス・ランキフォリア(Meconopsis lancifolia)の典型的な植物(subsp. lancifolia)をその基準地(type locality)で探索することだった。ドラヴェーのランキフォリアの基準標本(type specimen)には、採集地として Yen-tze-hai という地名がラベルに書かれている。この Yen-tze-hai は彼が当時赴任していたHo-kin(現代中国語では鹤庆, Heqing)県にあることはさまざまな資料でわかっていたが、それが実際にどこにあるのかはっきりしないため、ドラヴェーの後にランキフォリアを基準地で採集した人はなかった。 

ランキフォリアに似た植物はその後、雲南省のほかの地域や四川省でも発見され、ランキフォリアとされたり、ランキフォリアの亜種や変種、あるいは別種に分類されたりしたが、それらの分類にはあいまいな部分が残されている。ランキフォリアのグループを正しく分類するには、ドラヴェーが採集した基準植物の実態を明らかにすることが不可欠である。 

 麗江飛行場で落ち合った私たちはまず南に少し走って鶴慶(鹤庆)県の旅游局を訪れ、ドラヴェー(中国名は神甫, Lai-shenfu, または德洛, De-luo-wei)について尋ねた。しかしその名を知る人は誰もいなかった。つぎに旅游局で紹介されたキリスト教の教会<1>を訪ねた。旅游局からの連絡を受けて自転車で駆けつけてくれた教会の世話をする女性は、私たちの尋ね人が見つかるよう長いお祈りをささげてくれたが、ドラヴェーや昔のカソリック(天主教)の教会のことは何も知らなかった。現在の鶴慶県にあるのは、町の中心部に近いビルの1階に間借りしているこの小さな教会だけだった。教会の内部はきわめて簡素で、カソリックではなく新教のものだった。この地域のキリスト教は、新中国成立後とそれ以前では大きい断絶があるようだ。 

 私は中国で出版されたいくつかの地図とGoogle Earthを使い、ランキフォリアが生えていそうな鶴慶県西部の標高35004000mの山地に目星をつけていた。南北に走るその山地の西麓に西邑(Xi-yi)という村があり、私たちはつぎにその村を訪ねた。西邑からもっとも高く見えるピークが馬の耳に似ているというので、その山には馬耳山(Ma-er Shan)という名がある。馬耳山は5月ごろに満開になるシャクナゲの名所として知られている。西邑村の食堂で昼食をとりながら情報収集したところ、馬耳山は今は軍事管理区になっているので地元の案内人といっしょに行ったほうがよい、向かいのゲストハウスの主人は馬耳山をよく知っているので、彼を案内人に雇うとよいと聞き、その日はこのゲストハウスに宿泊した。その主人に馬耳山への案内を頼み、1階のお茶屋さんでお茶を試飲しながら休んでいたところ、西邑村委員会書記の王思源(Wang Si-yuan)さんがやって来て、いっしょに茶飲み話をした。 

王さんは非常に物知りな方で、この地域のほとんどの住民が所属する少数民族の白族のことについていろいろ教えてくれた。彼にランキフォリアの写真を見せながら、フランス人神父が130年前にYen-tze-haiという場所でこの花を採集したのだが、その場所を知らないかと尋ねたところ、西に見える馬耳山<2>を指さし、それはたぶん馬の耳の少し下にある窪地のことで、白語でYen-tzu-aiとよばれる場所だろう。そこには大小二つの湖があり、大きい湖は今は中国語で天池(Tian-chi)とよばれ、5月には湖を取り囲む山の斜面がシャクナゲの花で埋められて見事な景観になるそうで、宿の主人がその写真を見せてくれた。Yen-tzu-aiの少し北には中国語で雪茶坡(Xue-cha-po)とよばれるこの山のほんとうの頂上があり、そこには雪茶(Thamnolia vermicularis)や珍しい高山植物が多く生え、Yen-tzu-aiと雪茶坡の間にはランキフォリアが今も少し見られるという。王さんもフランス人神父のことや鶴慶県にかつてあったカソリック教会のことは、まったく知らなかった。 

ランキフォリアは白族の言葉でチナーブモン(Chinahbumeng)、中国語(漢語)ではそれを意訳して金不換(Jin-bu-huan)とよばれ、お金に換えられないほど貴重な薬草という意味だそうだ。ランキフォリアは昔はこの山のほかの場所にも多く生えていたそうで、少なくなった原因は村人が薬にするために乱獲したせいではなく、この山の稜線沿いに林立する風力発電塔の工事のせいだ、今はこの植物を薬用に採集する人はいないと王さんはいう。西邑から馬耳山に登る急な山道はあるが、風力発電会社が造った山岳道路ができた後はほとんど利用する人がないという。私は王さんの話を聞きながら、フランス語で「h」が発音されないことを思い出し、白語のYen-tzu-aiがランキフォリアの基準地であるYen-tze-haiと同じであることを確信した。 

メコノプシス植物では、ランキフォリアのほかに大形の青いケシであるベトニキフォリア(M. betonicifolia)も、ドラヴェーが鶴慶県で最初に採集したものだ。その写真を王さんに見せて尋ねたところ、ベトニキフォリアは彼の祖父の時代には馬耳山に多く見られたが、今はないということだった。ベトニキフォリアの近縁種であるバイレイーM. baileyi)はチベット南東部のナムチャバルワの周辺で今も薬草として採集されているが、ベトニキフォリアはこの地域では薬草に使われなかったそうだ。王さんの父親の時代にはベトニキフォリアがすでに見られなくなっていたとすると、馬耳山で青いケシが少なくなったのは開発による生育地の破壊と乾燥化だけでなく、地球温暖化による気象の変化も関係していそうだ。 

青いケシは標高4000m前後の霧がかかりやすい尾根筋の、季節風に晒された西向き斜面に生えることが多い。青いケシの不思議な花の色は、このような霧がかかりやすい特殊な環境と密接な関係がある。最高峰が4000mを少し超えるくらいの山地では、青いケシは地球温暖化や乾燥化の影響を強く受ける。馬耳山の南にある大理蒼山も稜線が標高4000m前後の山地で、19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの種類のメコノプシス属植物が採集されたが、今はほとんど見られなくなっている。 

 翌朝、宿の主人を車に乗せて出発し、大理に続く街道を南下した。風力発電会社が造った馬耳山への山岳道路の入り口は山地の南端にある。その入り口付近には戦車が多数ひしめく基地があり、道路をジグザグに少し登ったところには草色のテントが立ち並ぶ駐屯地があった。2か所の軍事管理区検問所を案内人のおかげでとくに誰何されることもなく無事に通過。その後は林立する風力発電塔<3>の下を縫うように、ほぼ稜線沿いに北に進む。道路は未舗装だがよく整備されていて、風力発電塔に通ずる枝道との分岐点には必ず案内板が立っているので、迷う心配はない。演習場になっている草原には戦車のわだち<4>が縦横に走っていた。 

行く手の橋の上に1台の戦車が停車しているのに遭遇した。演習で泥だらけになった車体を若い兵士が川から汲み上げた水で洗い終えるまで、長く待たされる。ふと横を見ると、迷彩シートをかぶせた12台の戦車が窪地に隠れるように停泊しているに驚かされた。私たちの車は幅の広い戦車とすれ違うため、半分ほど道路からはみ出して駐車していた。若い兵士たちは礼儀正しく、狭い山道でふつうに車がすれ違うときのように、戦車から降りて安全確認をしながら通り過ぎていった。 

国境から遠く離れたこの山で彼らはいったい何のために演習しているのか、この戦力はいったい何に対するものなのか、とつい考えてしまう。大理を中心とするこの地方はかつて大理府とよばれ、白族が治める半独立の小王国があったそうだ。この地方の北に隣接する麗江のナシ(納西)族には「玉龍第三国」という愛の楽園の伝説があり、玉龍雪山の東側の雲杉坪にその入り口があるという。1950年代末に毛沢東の無謀な大躍進政策のせいで農村に飢饉が蔓延したころ、共産党支配に抵抗した勢力が雲杉坪の北に「玉龍第三国」と称する根拠地を置いて抵抗したことが、地元民の間で語り継がれている。その根拠地の跡は今では低木疎林に覆われ、馬耳山のランキフォリアに似たフォレスティーM. forrestii)が低木の間に群生している。 雲南省北西部の今は、勇猛果敢で知られたチベット人のカンバ族が住む地域を含めて、中央政府の政策に抵抗する勢力はなく、平和そのものだ。

南北に延びる山地の稜線に沿って走る道路はやがて下りになり、眼前に大小二つの湖がある窪地<5>が広がった。白族がYen-tzu-aiとよんだ場所だ。湖畔の芝地にヤクの群れや馬が放牧されている。山の上で放牧に従事するのは白族ではなく、校倉造りのような木造の家に住むイ(彝)族の人たちだ。湖畔の家を修理していたイ族の男に写真を見せて尋ねると、ランキフォリアは確かにこの先に生えているといい、私たちにその場所を教えてくれた。私たちの案内人は白族なので、山の上では頼りにならない。 

イ族の男が教えてくれた場所に、ランキフォリア<6-9>は点々と生えていた。典型的なランキフォリア(typical plant of M. lancifolia)としては130年ぶりの再発見である。花はまだ咲いていたが、花を終えて果実をつけた株も多い。その果実は細い円柱形で、直径56mm、長さは4cmを超えるものもある。花は短い総状花序につき、花茎の基部に花(蕾)はつかず、花柄の基部に苞葉がない。花弁は48枚、色は淡紫色~すみれ色、予想したよりも美しい色合いだ。私は今までに雲南省のほかの地域や四川省でランキフォリアとされる青いケシをたびたび目にしてきたが、それらのどれとも果実や花序の形が異なるような気がした。西邑村委書記の王さんがいうとおり、ランキフォリアはYen-tzu-aiから雪茶坡までの稜線に近い斜面に少し見られただけで、ほかの場所ではまったく見つけることができなかった。 

来た道を引き返し、案内人を西邑のゲストハウスに送り届けた私たちは、南北に走る山地の南西側にある洱源(Er-yuan)に1泊した後、つぎの探索地である馬廠に向かった。ドラヴェーのランキフォリアの標本には採集地がMa-eul-chanと書かれたものがあり、私はこれが山地の北西側の盆地にある馬廠(, Ma-chang)ではないかと推測していた。事前にGoogle Earthで調べたところ、馬廠盆地の西側を南北に走る稜線上には道路がつけられていて、標高3500mのピークまで車で行けそうだった。 

私たちは洱源から高速で北上し、剣川(, Jian-chuan)で高速を下り、馬廠に通ずる峠越えの道路を東に登った。馬廠盆地には草地が広がり、多くの馬が放牧されていた。盆地の西側の稜線にも風力発電塔が林立し、電力会社が造った山岳道路がそれらをつないでいた。馬耳山のときと同じように私たちは頭上で不気味なうなり声をあげる巨大な風車を気にしながら、未舗装の曲がりくねった道路の最高点まで、道路際の斜面を探索しながら南に進んだ。しかしここではランキフォリアも、また大形のベトニキフォリアも見つけることはできなかった。温暖化の時代に青いケシが生き残るには、この稜線は標高が低過ぎたのだろう。薬草採りに来た馬廠村の男に写真を見せて尋ねても、青いケシは見たことがないという。馬廠は馬の生産基地という意味で、盆地を中心としたこの地域が昔から茶馬古道を往復する駄馬や大理府の軍用馬に用いられる馬の産地だったことをうかがわせる。 

私たちは剣川の古城に近いホテルで一夜を明かした後、冷涼な香格里拉高原に向かった。剣川の古城は大理や麗江、香格里拉のそれとはちがって過度の観光地化を免れ、1300年代に建てられた寺院が残り、石造りの小さな太鼓橋があり、磨耗した石畳の下には下水道と上水道が埋まっているという小路の古びて閑静なたたずまいは、明の時代を彷彿とさせた。

この先、私たちは香格里拉県や徳欽県の山々でランキフォリアとされる青いケシの自生地を訪ね、それらが馬耳山の典型的なランキフォリアとどうちがうのか観察することになる。 

私はまずアシスタントととともに香格里拉飛行場に西にある石卡雪山(Shika Xueshan)にロープウェーで登り、頂上駅から放牧地<10>を北西に歩き、小湖のあるヤクの牧場を13年ぶりに再訪した。牧場に近い標高4250mの崖地にはかつて見たとおりランキフォリア<11-12>の群落があり、砂礫地の斜面にはプセウドヴェヌスタ<13>の群落があった。ランキフォリアは花をほとんど終え、若い果実を立てていた。この地のランキフォリアは果実の形が馬耳山の典型的なものとほぼ同じだが、やや短い。馬耳山のものとちがい、花茎の基部に必ずいくつかの花(蕾)がつく。基部の花には小さな蕾のまま成長を止めたものもある。この石卡雪山のランキフォリアは、馬耳山のものとは種以下のレベルで形態的なちがいがあると感じられた。 

ランキフォリアのグループは短い総状花序をつくり、花には苞葉がなく、葉は基部にしかつかないのが特徴だ。これはふつうの総状花序の青いケシが寒冷化とともに花序軸が短縮し、いったんは花柄がすべて地際から出るスカポーズ・プラント(scapose plant)になり、寒冷期が終わって地球が温暖化すると、一部の花柄が長く伸びて合着し、苞葉のない短い総状花序になったものと思われる。しかし花序の形は一定せず、風当たりの強い峠付近では主芽が凍結や動物の食害によってダメージを受けやすいので、スカポーズ・プラントに先祖返りする個体が多くなる。石卡雪山の頂上に近い芝地には、ランキフォリアのスカポーズ・プラントの小さな株<14>が点々と咲かせていた。 

私たちはつぎに徳欽県の白馬雪山(Baima Xueshan)の北の谷を車で訪れた。この谷を訪れた第一目的は、この12月に新種(変種の種への組み替え)として発表予定のメコノプシス・ユニフロラ(M. uniflora)を撮影することだった。ユニフロラは共著者である中国西北森林大学の徐波(Xu Bo)さんが測定したGPSデータどおり、この谷の最奥の標高4700mの峠に近い岩礫急斜面に生えていた<15-21>。しかし花は残念ながら終りごろで、果実をつけた株もあり、残っている花は少し色褪せていた。 

峠に近い礫質緩斜面にはランキフォリア<22-26>のみごとな群落が見られた。徳欽県のランキフォリアは1914年にジョージ・フォレストが採集した標本をもとに、その翌年にデイヴィッド・プラインによってエキシミア(M. eximia)の種名で発表されたものだ。この植物は1934年にジョージ・テイラーによってランキフォリアの典型的なものと同じとみなされ、2014年にはグレイ・ウィルソンによってランキフォリアの亜種(subsp. eximia)に分類が変更された。 

白馬雪山のランキフォリアをよく観察すると、基部にいくつかの花(蕾)がつくことは石卡雪山のものと同じだが、緑色の部分に生える毛は質が硬く、果実は楕円体、花は大きく、花弁は6枚以上つき、色は赤みの強い紫色であることで、馬耳山や石卡雪山のものと形態がかなりちがっていた。また馬耳山や石卡雪山のランキフォリアは柔らかく湿った土の中にカブやニンジンの形をした短い軟質の根が下りるのに対し、白馬雪山のランキフォリアは草に薄く覆われた礫の層の間にゴボウ状の根が長く伸び、固く締まった礫の間には砂質の土はあっても黒くて柔らかい土はほとんど見られなかった。結論として、白馬雪山のランキフォリアとされるものは、馬耳山や石卡雪山のランキフォリアとは亜種か種のレベルでの違いがあると認められた。 

この白馬雪山の北の谷の峠から少し下った放牧地の周辺<27>には、ユニフロラに似て全体に大形で黄色い花が数個つくプセウドインテグリフォリア(M. pseudointegrifolia)や、葉が羽状に規則正しく中裂するスペキオサ(M. speciosa)見られた。しかしプセウドインテグリフォリア<28-29>は完全に花を終え、スペキオサ<30>もほぼ花期を終え、淡青色の疲れ果てた花を少しだけ残していた。スペキオサが群生する岩礫地には、雪蓮花と総称される2種の綿毛に覆われたトウヒレン属植物<31-32>も見られた。 

つぎに私たちは香格里拉県に戻り、香格里拉の町から北に車で2時間半ほど走り、私が13年前にランキフォリアを見たことがある紅山(Hong Shan)の南側にある標高4250mの峠に登った。そしてこの峠を越えて少し北に下った道沿いの斜面に、ランキフォリアの群落を見つけた。この地のランキフォリア<33-34>はシャクナゲ低木林の下部斜面に生えて丈高く生長し、花はほとんど終えていた。花茎の下部に白馬雪山のものと同じ赤みの強い紫色の花を残した株も見られた。果実の形も白馬雪山のものと同じ楕円体だった。ほかにも峠の近くには花を終えて果実を立てたリジャンゲンシス(M. lijiangensis)<35>や、まだ青い花を多くつけたルディス(M. rudis)<36>の群落も見られた。 

それから私たちはさらに北上し、雲南省と四川省の境にある標高4150mの大雪山の峠を最後に訪ねた。私は20年前の6月下旬にこの峠の西側斜面で数株のランキフォリアを撮影したことがあり、そのうちの1枚の写真はとくに気に入り、大きく引き伸ばして額にいれて部屋に飾っていた。その花は白馬雪山のものに似て大きく、赤みの強い紫色で、見栄えがした。これがほんとうに白馬雪山のものと同じかどうか、果実の形を見て確かめたかった。しかし大雪山の峠付近をどれだけ探しても、ランキフォリアは1枚の葉すら見つけることができなかった。この20年の間に大雪山の美しいランキフォリアの群落は、気候温暖化のせいで絶滅したのだろうか。 

私たちの車のドライバーは、大雪山の南側の東旺(Dong-wang)郷の出身だった。中国で出版された地図を見ると、南東から北西に伸びる大雪山山地が雲南省と四川省の境になっていて、大雪山山地の北側は四川省郷城県の然烏(Ran-wu)郷に属していた。しかしドライバーは大雪山のすべてが雲南省の東旺に属すると強く主張した。ドライバーから詳しく話を聞くと、ここ数年間、マツタケや冬虫夏草の採集をめぐって東旺と然烏の間で数名の死者を出すほどの激しい争いがあり、その結果、大雪山山地は今や東旺のものになり、然烏の人々はこの山地に入れなくなったのだという。 

マツタケは昔の中国人はどの民族も食用にせず、見向きもしなかったものだが、日本に輸出すれば高額になることからマツタケが生える地域ではどこでも採集熱が高まり、村人たちや村と村の間で過度の競争が起こった。最近ではマツタケを油炒めして好んで食べる中国人が多くなっている。日本風にするためか、傘を閉じたままの小さなマツタケを生のままスライスして氷の上に並べ、刺身のように醤油をつけて食べる料理も高級レストランで出されている。 

20年前に私は大雪山の峠を四川省側に少し下り、道路の補修基地として造られたコンクリートの建物の中で収穫した雪蓮花を乾かしていた然烏の男たちをポーターに雇い、そこから上部の斜面を探索したことがある。その上部には二つの放牧拠点の夏村があり、然烏から登ってきた家族がヤクを放牧していた。さらに登るとセイタカダイオウが林立する尾根筋の急斜面に出て、多くの高山植物の花を見ることができた。そのコンクリートの建物は今は基礎だけ残す廃墟と化していた。ドライバーによると、二つの放牧拠点も今は東旺のものになっているという。最近の急激な中国の変貌や地球温暖化を考えるとき、20年前は遠い昔のように感じられる。